極真館HP リニューアルオープン!                                         極真空手道連盟 極真館 総本部                                         




極真空手道連盟 極真館
財団法人 極真奨学会



名 称 : 極真空手道連盟 極真館
館 長 : 盧山初雄
総本部: 埼玉県川口市並木3-6-19
TEL . 048-256-8255
FAX . 048-254-0980
支部数: 国内 約60支部
海外 約40カ国  70支部
目 的 : 「武道空手の探求」
「青少年の健全育成」


 極真空手道連盟極真館は、極真カラテ創始者である故大山倍達総裁の遺志を受け継ぎ、武道空手の追求と青少年の健全育成を柱に2003年1月13日に発足しました。1994年の大山総裁逝去後、「極真」は複数の団体に分かれ、それぞれの理念の下に活動をおこなっていますが、我々極真館は、武道としての空手を追求していく中で、空手の基本・型・武器術を再度見直すとともに、現代の日本人が失いつつある礼節にも重きをおいた活動をおこなっています。

  極真館の稽古体系は、基本稽古の習得、移動稽古、型の分解や古来より伝わる武器術などの導入(棒・サイ・トンファ・ヌンチャク)、巻き藁や砂袋で拳足を鍛える部位鍛錬、中国拳法(意拳)の要素を取り入れた稽古法など多岐に及びます。

  極真カラテの試合は素手・素足による直接打撃制が採用されています。手技による顔面攻撃を禁止している関係上、選手同士が膠着した状態で技を出し合う傾向が強く、また相手を押す行為などから「相撲空手」と揶揄された時期もありました。極真館では武道という観点で捉えた場合、無防備に相手に近づくことをルール上で制約し、常に手技による顔面攻撃を想定した間合いで試合を行うことを前提としています。また、相手を尊重することを大切にし、試合後のガッツポーズを禁止しています。(ガッツポーズをした際は失格となります。)

  極真館では従来の直接打撃制ルールに加え、2006年4月29日の全日本ウェイト制空手道選手権大会より手技による顔面攻撃を認めた「ウェイト制真剣勝負ルール」を採用しています。(ウェイト制大会に限る)選手は安全上、拳グローブと肘サポーターの着用を義務付けとし、単にルールの過激さを標榜するのではなく、実践での戦いを想定した要素も含んだ内容となっています。



館長
 盧山 初雄
(ろうやま はつお)
1948年3月31日
埼玉県行田市大字谷郷に5人兄弟の長男として生誕。
幼い頃より武道に憧れ、高校1年の秋、池袋の大山道場に入門。

大山倍達極真会館総裁を初め、多くの極真の獅子達の下で極真魂の神髄を学ぶ。その後、各種の武術を体得する。

1973年
数々の試練を乗り越え、「第5回全日本空手道選手権大会」に優勝し、真の空手家、武道家としての一歩を踏み出す。

1980年4月
埼玉県に支部道場を開設、支部長として後進の指導にあたる。そのかたわら、真の強さを求めて自己の修行に励む。

1994年4月
大山倍達総裁ご逝去。松井新体制のもと、極真会館の最高顧問・首席師範に就任する。

2002年12月
大山倍達総裁の遺志を継いで真の武道空手を追求する為、新組織「極真空手道連盟極真館」を設立。館長に就任する。

大山総裁が遺された唯一の公益法人、財団法人極真奨学会を引き継ぎ、極真空手の統一を目指している。



副館長 廣重 毅
(ひろしげ つよし)
1947年11月1日
福岡県北九州市に生れる。幼い頃から精神的な世界に目覚め、その延長として武道を志すようになる。高校時代はハンドボール選手として活躍。1966年本田技研入社。その後大山倍達総裁の内弟子になるまで3社でサラリーマン生活を送り、アルジェリアへの海外勤務も経験する。

1972年6月
24歳で極真会館総本部入門。

1975年
大山倍達総裁の内弟子となり若獅子寮寮長を務める。

1976年
第8回全日本空手道選手権大会に28歳で初出場という遅いデビューをする。大会後、意拳の教えを受ける。翌年の第9回全日本大会7位、第10回全日本大会4位、第11回全日本大会5位という成績を残し、第2回全世界空手道選手権大会日本代表選手となり活躍した。

1978年6月
城南支部を設立。独自の理論に基づく稽古方法と生徒の個性を伸ばす指導方法で多くの名選手を世に出す。

3人の世界チャンピオン、緑健二、八巻建弐、塚本徳臣選手を初め不動の全日本王者数見肇、高久昌義選手などを育てた名伯楽として知られる。

1998年
極真空手ワールドカップパリ大会日本代表チーム監督。

1999年
第7回世界大会の日本選手団監督を務める。

2002年12月
極真会館を離れ、盧山館長と共に「極真空手道連盟極真館」を設立。
副館長に就任。最強空手復活の実現と青少年育成に尽力している。



本部長 湖山 彰夫
(こやま あきお)
1958年8月
鳥取県生まれ。

21歳で極真会館総本部入門。

後に盧山道場に移籍し、内弟子寮「盧山泊(ろざんぱく)」初代寮長を務める。

盧山道場で武道空手の神髄を学んだ後、極真会館山陰支部長として活躍。

2002年12月
極真会館を離れ、新組織「極真空手道連盟 極真館」本部長として就任す る。



副本部長 岡崎 寛人
(おかざき ひろと)
1961年4月
福島県生まれ。

中学1年生で極真空手を始める。

高校卒業後盧山道場に入門し内弟子となる。

福島県支部時代から盧山師範の薫陶を受け、盧山空手の神髄を学んだ後、福島県支部長として活躍。また古流空手道、居合道などを学び、型の第一人者として知られている。

2002年12月
極真会館を離れ、新組織「極真空手道連盟 極真館」副本部長として就任す る。



相談役/国際委員会特別委員長
ジャック・サンダレスク
(Jacques Sandulescu)
 大山倍達が北米巡業中に対戦した数々の相手の中で、唯一ジャック・サンダレスクだけが、実際にこの偉大な空手家の弟子となった。

 第2次世界大戦中、当時16歳だったジャック少年はロシア人に捕らえられ、ドンバスという炭鉱所で強制労働の日々を過ごすこととなった。ある日、事故が原因で生き埋めになったジャックは5時間後奇跡的に救出されるも、両足がひどく潰れてしまった。彼は収容された病院で医者が彼の両足を切断する計画であることを偶然知り、その日の夜シーツで足を包み、ドイツに向けて必死の逃亡を断行した。逃亡に成功したジャックは大戦後アメリカに渡り、その風貌から映画界に入り、マフィア役を務める事もあった。

 大山倍達と出遭ったのは、それから何年か後のことである。

 ある日、身長195cm、体重190s近い巨人ジャックは、大山が手刀でレンガを割るのを見て、「ワッハッハッハッ、君は空手六段か。もしワシが2枚割ったら何段くれるかね?」と言って、実際に2枚のレンガを粉々に割ってみせた。しかし道場での戦いで、ジャックは大山に叩きのめされ、彼は大山の忠実な弟子となった。その後、長きに渡りよき友人として極真を支えて来た。

 1970年代初頭からは、同じ大山の弟子である盧山初雄と親交を深め、その盧山が大山の追及した武道空手を正当に受け継ぐべく発足した今日の極真空手道連盟極真館に深い理解を示し、この度、極真館の国際相談役として就任する。



国際委員会委員長
ホセ・ミリャン
(Jose Antonio Millan Fuertes)
 1963年4月に極真会館の前身である大山道場に入門。
 1966年、昇段の後スペインに帰国。スペイン国初の空手有段者となる。しかし、スペイン国内では当時のスポーツ省の規制により、空手道を稽古することが禁止されており、再び日本に戻る。
 以来約40年間日本で暮らす。盧山館長や廣重副館長とは長年共に稽古をした仲で、現在も親交が厚い。

 1972年、スペインの国王と女王陛下が来日する際、大山総裁が大演武会を企画し、ミリャンも演武に参加する。この演武会が大成功し、スペインでも極真空手が見直される。
 
 2001年までは、本業である神奈川大学教授を勤める傍ら、世界大会や全日本大会において主審や副審を務める。
 
 現在は本国スペインに戻り、極真館の国際委員長として広く世界に極真館空手道の普及を目指す。





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