1948年3月31日、埼玉県行田市大字谷郷に5人兄弟の長男として生まれる。

幼い頃より武道に憧れ、高校1年の秋、池袋の大山道場に入門。

大山倍達極真会館総裁を初め、多くの極真の獅子達の下で極真魂の神髄を学ぶ。その後、各種の武術を体得する。

1973年、数々の試練を乗り越え、「第5回全日本空手道選手権大会」に優勝し、真の空手家、武道家としての一歩を踏み出す。

1980年4月より埼玉県に支部道場を開設、支部長として後進の指導にあたる。
そのかたわら、真の強さを求めて自己の修行に励む。

1994年4月、大山倍達総裁ご逝去。
松井新体制のもと、極真会館の最高顧問・首席師範に就任する。

2002年12月、大山倍達総裁の遺志を継いで真の武道空手を追求する為、新組織「極真空手道連盟極真館」を設立。館長に就任する。
館長
盧山 初雄
(ろうやま はつお)

1947年11月1日、福岡県北九州市に生れる。

幼い頃から精神的な世界に目覚めその延長として武道を志すようになる。高校時代はハンドボール選手として活躍。1966年本田技研入社。その後大山倍達総裁の内弟子になるまで3社でサラリーマン生活を送り、アルジェリアへの海外勤務も経験する。

1972年6月、24歳で極真会館総本部入門。

1975年大山倍達総裁の内弟子となり若獅子寮寮長を務める。

1976年の第8回全日本空手道選手権大会に28歳で初出場という遅いデビューをする。大会後、意拳の教えを受ける。翌年の第9回全日本大会7位、第10回全日本大会4位、第11回全日本大会5位という成績を残し、第2回全世界空手道選手権大会日本代表選手となり活躍した。

1978年6月、城南支部を設立。独自の理論に基づく稽古方法と生徒の個性を伸ばす指導方法で多くの名選手を世に出す。
3人の世界チャンピオン、緑健二、八巻建弐、塚本徳臣選手を初め不動の全日本王者数見肇、高久昌義選手などを育てた名伯楽として知られる。

1998年極真空手ワールドカップパリ大会日本代表チーム監督。

1999年第7回世界大会の日本選手団監督を務める。

2002年12月極真会館を離れ、盧山館長と共に「極真空手道連盟極真館」を設立。副館長に就任。最強空手復活の実現と青少年育成に尽力している。
副館長
廣重 毅
(ひろしげ つよし)

本部長
湖山 彰夫
(こやま あきお)
1958年8月、鳥取県生まれ。

21歳で極真会館総本部入門。
後に盧山道場に移籍し、内弟子寮「盧山泊(ろざんぱく)」初代寮長を務める。

盧山道場で武道空手の神髄を学んだ後、極真会館山陰支部長として活躍。

2002年12月、極真会館を離れ、新組織「極真空手道連盟 極真館」本部長として就任する。

1961年4月福島県生まれ。

中学1年生で極真空手を始める。高校卒業後盧山道場に入門し内弟子となる。

福島県支部時代から盧山師範の薫陶を受け、盧山空手の神髄を学んだ後、福島県支部長として活躍。また古流空手道、居合道などを学び、型の第一人者として知られている。

2002年12月、極真会館を離れ、新組織「極真空手道連盟 極真館」副本部長として就任する。
副本部長
岡崎 寛人
(おかざき ひろと)





大山倍達が北米巡業中に対戦した数々の相手の中で、唯一ジャック・サンダレスクだけが、実際にこの偉大な空手家の弟子となった。

第2次世界大戦中、当時16歳だったジャック少年はロシア人に捕らえられ、ドンバスという炭鉱所で強制労働の日々を過ごすこととなった。ある日、事故が原因で生き埋めになったジャックは5時間後奇跡的に救出されるも、両足がひどく潰れてしまった。彼は収容された病院で医者が彼の両足を切断する計画であることを偶然知り、その日の夜シーツで足を包み、ドイツに向けて必死の逃亡を断行した。逃亡に成功したジャックは大戦後アメリカに渡り、その風貌から映画界に入り、マフィア役を務める事もあった。
大山倍達と出遭ったのは、それから何年か後のことである。

ある日、身長195cm、体重190s近い巨人ジャックは、大山が手刀でレンガを割るのを見て、「ワッハッハッハッ、君は空手六段か。もしワシが2枚割ったら何段くれるかね?」と言って、実際に2枚のレンガを粉々に割ってみせた。しかし道場での戦いで、ジャックは大山に叩きのめされ、彼は大山の忠実な弟子となった。その後、長きに渡りよき友人として極真を支えて来た。

1970年代初頭からは、同じ大山の弟子である盧山初雄と親交を深め、その盧山が大山の追及した武道空手を正当に受け継ぐべく発足した今日の極真空手道連盟極真館に深い理解を示し、この度、極真館の国際相談役として就任する。
相談役/国際委員会特別委員長
ジャック・サンダレスク
(Jacques Sandulescu)

 

1963年4月に極真会館の前身である大山道場に入門。
1966年、昇段の後スペインに帰国。スペイン国初の空手有段者となる。しかし、スペイン国内では当時のスポーツ省の規制により、空手道を稽古することが禁止されており、再び日本に戻る。
以来約40年間日本で暮らす。盧山館長や廣重副館長とは長年共に稽古をした仲で、現在も親交が厚い。

1972年、スペインの国王と女王陛下が来日する際、大山総裁が大演武会を企画し、ミリャンも演武に参加する。この演武会が大成功し、スペインでも極真空手が見直される。
 
2001年までは、本業である神奈川大学教授を勤める傍ら、世界大会や全日本大会において主審や副審を務める。
 
現在は本国スペインに戻り、極真館の国際委員長として広く世界に極真館空手道の普及を目指す。
国際委員会委員長
ホセ・ミリャン
(Jose Antonio Millan Fuertes)