第14回全日本青少年空手道選手権大会 2008年 4月26日(土)、27日(日)


第13回全日本青少年空手道選手権大会 2007年 4月30日(月・祝)


第12回全日本青少年空手道選手権大会 2006年 4月30日(日)


第11回全日本青少年空手道選手権大会 2005年 4月30日(土)
11回全日本青少年空手道選手権大会が、例年通り戸田市スポーツセンターにて開催された。既に今年で11年目を迎え、競技内容が円熟味を増し、又一昨年から新たに設けられた型競技も更にレベルアップした。今大会には総勢600名の子供達が己の技を披露し、その中には多くの海外の国からの参加者もあり、ジュニアの世界大会となった。参加した国の顔ぶれは、カザフスタン、韓国、スリランカ、ドイツ、パキスタン、フィリピン、南アフリカ。特にカザフスタンは昨年同様、高校男子のクラスで3年連続優勝した。今後、海外からの参加者が増えるに従って、多くの優勝トロフィーも海外に持ち去られる日が来るかもしれない。日本の子供達もうかうかしていられないだろう。


第10回全日本青少年空手道選手権大会 2004年 5月 3日(月・祝)
全日本ウェイト制空手道選手権大会の翌日、第10回全日本青少年空手道選手権大会が、同じく戸田市スポーツセンターにて開催された。既に今年で10年目を迎え、競技内容が円熟味を増し、又昨年から新たに設けられた型競技も更にレベルアップし、見どころは盛りだくさんとなった。今大会には総勢700名の子供達が己の技を披露し、その中には多くの海外の国からの参加者もあり、ジュニアの世界大会となった。参加した国の顔ぶれは、アメリカ、カザフスタン、韓国、スリランカ、ドイツ、パキスタン、フィリピン、南アフリカ。特にカザフスタンは昨年同様、高校男子70kg以下のクラスで2年連続優勝した。今後、海外からの参加者が増えるに従って、多くの優勝トロフィーも海外に持ち去られる日が来るかもしれない。日本の子供達もうかうかしていられないだろう。


第9回全日本青少年空手道選手権大会 2003年(平成15年)
出場選手: 幼年の部 23名、小学生の部 482名、中学男子の部 93名、中学女子の部 27名、高校男子の部 67名、高校女子の部 20名、型・小学生の部 49名、型・中高生男子の部 11名、型・中高生女子の部 14名
参加選手786名。
 本年度より新設された型競技への多数参加。新しい会場に観客も満足、盛大裡に閉幕する事ができた。


第8回全日本青少年空手道選手権大会 2002年(平成14年)
出場選手: 幼年の部 22名、小学生の部 610名、中学生の部 140名、高校生の部 98名、女子の部(中高生)51名
 本大会から中学生の部がウェイト別に独立し、大きな話題をさらうことになった。
 また、例年を上回る他流派の参加者があり、加えてカザフスタンの選手団も来日。
 サッカーWカップの年にふさわしい熱戦が繰り広げられた。
 

第7回全日本青少年空手道選手権大会 2001年(平成13年)
出場選手: 幼年の部 23名、小学生の部 598名、中学生の部 131名、高校生の部 128名、女子の部(中高生)54名 
 本大会が他の団体(流派)から高い評価を頂いている理由の第一は審判の公平さにあり、それが参加者の拡大に繋がっているものと自負している。今後ルールのきめ細かな整備と、選手の皆さんの安全性を重視した大会へと飛躍していく所存。
 韓国、カザフスタン、フィリピンからの参加者もあり、国際色豊かな大会であった。
 

第6回全日本青少年空手道選手権大会 2000年(平成12年)
出場選手: 幼年の部 19名、小学生の部 536名、中学生の部 134名、高校生の部 120名、女子の部(中高生)27名 
名称が変更された。尚、要望に応え、今大会より幼年の部が設置され始めての試みにもかかわらず19名の参加者があり、総勢836名の大いなる大会となった。
 

第5回全日本極真青少年空手道選手権大会 1999年(平成11年)
出場選手: 小学生の部403名、中学男子の部112名、中学女子の部17名、高校男子の部106名、高校女子の部3名、計641名
 この年より中学女子部がウェイト別で独立し、高校女子も加わった。また小学女子は学年を下げて出場していたものを、申請通り(学年通り)の出場にも改められた。
 出場選手の飛躍に伴い、入場者数も記録的伸びを示した大会となった。
 

第4回全日本極真青少年空手道選手権大会 1998年(平成10年)
出場選手: 小中学生の部 460名、高校生の部 73名、計 533名
 この年ここに、小・中・高の選りすぐりの選手が集い、初の2日制の実施となったが、これをもって大会の総称も青少年大会に改めることとなった。
 

第3回全日本極真小中学生空手道選手権大会 1997年(平成9年)
出場選手: 442名
 少年大会が18年の永きにわたり、年々歳々成長し続けてこられたのも、多くの方々のご支援あってのことだった。今や名実共に全日本大会として全国的に認知されるに至っている。
 実は前年より次なる要望が寄せられていたのである。一般部は東京体育館における全日本大会を頂点に、さまざまな形式で開かれているし、少年部もここに定着した。しかしその中間層となると、名称はどうあれ、近隣の道場同士の交流程度の規模でしか行われていないのが実状だった。そこで是非高校生大会も、といった声があったのである。少年大会と併せた開催の検討を余儀なくされたのである。
 

第2回全日本極真小中学生空手道選手権大会 1996年(平成8年)
出場選手: 442名
 少年拳士による年一回のこの祭典は、ゴールデンウィークの一編の風物詩として定着してゆく。
 フジTVの人気者、ポンキッキーズのガチャピン君が、極真会館に入門し黒帯を取得して見事勝ち上がっていったのはこの大会に於てである。
 

第1回全日本極真小中学生空手道選手権大会 1995年(平成7年)
出場選手: 433名
 全日本に格上げされた大会規模は文字通り飛躍的に拡大した。他の団体(他流派)からの問合せ、出場申し込みも殺到した。三面コートが設営された会場内を、道着姿の少年拳士が怒濤のように移動しているし、役員と係員、それに応援にはせ参じ下さった観衆が入り交じって、ごったがえしの状態だった。声援に応えた熱戦、感動的な名勝負、名場面が繰り広げられていったのだった。この大会で特筆すべきは女子の参加の多さとその活躍だった。こうしてこの地より、学年別全日本チャンピオンが誕生したのである。
 

第1回少年中学生全関東空手道選手権大会 1994年(平成6年)
出場選手: 262名
 この大会の直前、極真会館総帥大山倍達総裁ご逝去。大会の方は無事開催されたのだが、実はこの大会、前評判が非常に高かったのである。関係者の間では、ゴールデンウィーク中の開催なので、出場申込の反応を懸念するむきもあったのだが、関東地区とはいわず、青森から九州の果てまで事実上全国からの応募者があったのである。又、試合の模様がテレビ埼玉から放映されたこともあり、終了後の反響も絶大だった。早くも全日本大会開催の要望が多く寄せられたのである。
 こうして改名されたばかりの全関東の名称は、この歳一回限りで消滅することになったのだが、それは次の飛躍への大いなる選択でもあった。
 

第12回首都圏極真少年中学生空手道選手権大会 1993年(平成5年)
出場選手: 182名
 試合場を戸田市スポーツセンターの二階柔道場に移し、二面コートで行うようになったのは、第3回大会以降のことである。
 回を重ねて12回、ここに至るまでに交流試合から空手道選手権大会へと衣替えし、ルールも定義され、制度も整備されていった。女子は一年下げて出場することや、学年別トーナメント制の確率、それに出場拳士には想い出となる記念プログラムも発刊されるまでになった。
 この頃には参加協力者の枠が、首都圏といった限定された区域をはみだしつつあったので、名称の変更にせまられていた。手狭になった試合場も、同スポーツセンター内のより広い競技場(現在の会場)に替えて再出発することとなったのである。
 

第1回首都圏極真少年中学生交流試合 1981年(昭和56年)
 その日、極真会館埼玉県支部盧山道場に、首都圏各支部からいささか緊張気味の少年拳士たちが、三々五々と集まってきた。壁にはトーナメント表が貼られてあり、道場の床には白いテープで試合場が形づくられてあった。そこが第1回大会の晴れがましい舞台だったのである。試合が始まると、つきそってこられたご父兄の皆様方の応援は熱を帯び少年大会独特の雰囲気に盛り上がっていった。
 こうして始まった内輪の大会が今日の全ての原点となった。ここから少年大会の歴史が始まったのである。
 当時は小学生の部が3ブロック(小学1〜2年、3〜4年、5〜6年)中学生の部が1ブロック(全学年)のトーナメント制であった。参加者も少なく、あらゆる点で未熟な大会ではあったが、日本初の本格的少年大会として注目を集めたものである。何事につけ試行錯誤であった当初に比べ、今日の隆盛は隔世の感を禁じ得ないものがある。
 



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